• TOP
  • Vol.09 航空宇宙事業本部に血液を送れ ~東日本大震災 IHI相馬事業所復旧のために~

Vol.09 航空宇宙事業本部に血液を送れ ~東日本大震災 IHI相馬事業所復旧のために~ Play movie

2011年3月11日、東日本大震災が発生。震災は、東日本の沿岸部を中心に、各地に深刻な被害をもたらした。福島県相馬市に位置する、株式会社IHIの相馬事業所も例外ではなかった。ここは、航空宇宙事業本部の生産拠点として、世界中の多くの航空機に使用されるジェットエンジン部品の生産工場。相馬事業所でしか作れない部品も多く、生産が止まれば、影響は世界中に及ぶ。一刻も早く生産を再開したいという株式会社IHIの想いに応えるべく、TMEICが動いた。

key person(キーパーソン)

  • プラントエネルギー営業部 営業第二課 課長代理 鹿島 直樹
  • 元 変電技術部 技術第一課 担当課長 竹越 文男
産業第一システム事業部

約束の言葉を胸に

image

「とにかくすぐに助けに来て欲しい」。震災から2日後の日曜日早朝、鹿島の携帯へ1本の電話が入った。お客さまである株式会社IHI(以下、IHI)の電気主任技術者、山下氏からだった。重工業製品を扱うIHI相馬事業所は、電気がなければすべての機械設備が動作しない。TMEICは、工場が稼働するために必要な電気を供給する、受変電設備を提供していた。「工場にとって電気は『血液』のようなもの。それなしでは『臓器』が全く動きません。我々が作る部品なしでは、エンジンが完成せず、航空産業の国際的なサプライチェーンが寸断してしまいます。本社からも、一刻も早い復旧を指示されました」と山下氏。

鹿島はすぐに現地へ向かおうと試みるも、震災の混乱の中で新幹線は宇都宮までしか運行しておらず、宇都宮周辺のレンタカーは、すべておさえられていた。そんな中、奇跡的に東京都内で1台残っていたレンタカーを確保。途中、那須塩原に住む技術担当の竹越を車で拾い、2人はIHI相馬事業所を目指した。「お客さまや協力会社の方と、再度連絡をとろうと電話をしたのですが、つながりませんでした。しかし、初めの電話で、『月曜日の朝にIHI相馬事業所の門の前で会いましょう』と約束していたので、その言葉を信じて現地へ向かいました」と鹿島は当時を振り返る。福島県内に入ると、「停電の影響で、辺り一面が真っ暗でした。しかし、目を凝らせば、見たこともない自衛隊の車両で広場が埋め尽くされていて。聞こえるのは、上空を行き交うヘリコプターの爆音だけという、物々しい雰囲気でした」。

image
image
image

“命を懸けた○か×

image

そして月曜日の朝、無事に協力会社の社長とともに山下氏の元へ。1ヶ月で復旧させたいという言葉を聞き、「とにかく現場を確認しなければ」と竹越は身震いした。幸い工場は相馬湾から内陸へ10kmの場所に位置していたため、津波の被害はなかったが、震度6に及ぶ地震が続いた影響で、工場内は悲惨な状況だった。「一番気になったのは、電力会社からの特別高電圧電気を受け、工場での用途にあわせて変換する、特高受変電設備です。こちらが壊れていたら、どうしようもなかったんですが、奇跡的に無事でした」と鹿島。山下氏と相談しながら、まずは特高受変電所の復旧に取り掛かり、翌日の夕方には、通信機能がある棟へと電気をつなぐことに成功。パソコンも使えるようになり、工場復旧に向けての拠点が確立した瞬間だった。「夜に電気がついたときにはホッとしました」と鹿島は振り返る。

復旧に向けての第一歩を踏み出したとはいえ、工場内を正常に稼働させるには、21箇所あるサブの変電所も正常化しなければならない。1箇所ずつ回り調査した結果、14箇所については正常と判断。「もし、私の判断が間違っていると、最悪の場合、爆発の危険もあり命にかかわります。しかし、だからこそ、技術者として曖昧な判断はできません。◯か×か。確信がない限り、GOは出せないんです」と竹越。工場新設当時から共に設備を創り上げてきた山下氏は、「竹越さんの◯という判断は信じているんです。それでもスイッチを入れようと手を伸ばすと、震えが止まらず手から汗が滴り落ちるほどの緊張感でした」。使い物にならないと判断した7箇所については、仮設の変電所を作り、配線をつないだ。

プレッシャーのかかる状況でも、技術者として50年近くキャリアを積んだ竹越は冷静だった。「普段通りやることが一番大切です。私だけが先走って作業してもだめなんです。期日までに工場を立ち上げるためには、何を優先させるのか、いつまでにどうしたいのかを確認し、それを実現するための策を一つずつ考えるのです」。

image
image
image

“助けられる側の意気地

株式会社IHI 航空宇宙事業本部 相馬第二工場 生産技術部 設備担当(電気主任技術者) 山下 明紀 氏

様々なハードルをくぐり抜け、IHI相馬事業所は、震災発生からわずか1ヶ月の4月上旬から操業再開という異例の速さで復旧を進めることができた。特高変電設備が無事だったことや、必要なケーブルがそろっていたという運、各人の現場での的確な対応はもちろんだが、お客さまのサポートも大きかったと竹越は振り返る。「電話があってから、何も考えずに現地に来てしまったのですが、食事や宿泊場所など、すべてお客さまが手配してくれていました。トランスメーカー、盤メーカー、調整作業者など総勢11人分ですよ。ご苦労されたことと思います。私たちが仕事に集中できるように計らってもらえたことに大変感謝しています」。山下氏は、「大変な状況でも、私たちを助けるために命を懸けて来てくれているのですから、『飯と寝床』の用意は、例え自社の役員よりも優先。周りから何を言われようが譲るつもりはありませんでした」。

鹿島は、相馬での夕飯が忘れられないと言う。「夕食をとる場所に困っていると、お客さまが営業している焼肉屋さんを紹介してくれまして、毎日、復旧を目指すプロジェクトメンバーで一緒に夕飯を食べました。同じ時間を過ごしたことで、一体感が生まれたと思います。ただ・・・それ以降しばらくの間は、焼肉が食べたくなくなりました。たぶん、連日原発の報道が飛び交う、被災地という異常な環境下で、無理を言って集まってくれた技術者たちを無事に帰さなければならないというプレッシャーと焼肉の味が結びついてしまったのだと思います」

image
image
image

「お客さまのため」という本能

image

東日本大震災の発生から、まもなく6年が経過しようとしている。震災直後は街全体がひっそりとしていた相馬市だが、現在では見違えるほどに綺麗になった。IHI相馬事業所も、すっかり整備され、当時の傷跡は残っていない。それでも「私は営業担当として震災を挟んで10年近く相馬に通っていますが、残念ながら以前と比べて行き来する人は少なくなりました」と鹿島。

久しぶりに相馬市を訪れた竹越は、「思い出してきました。あの時は、1日も早く復旧させたい一心で、余震が怖いだとか原発の影響だとか他のことは一切考えずに、自分の役割を果たすことだけを考えていました。このような悲惨なことは二度と起きて欲しくありませんが、本当に大変な時こそお客さまのために最善を尽くすことが求められます。私はもう技術者を引退しましたが、このことは定年で退職するその日まで部下たちに伝えてきたつもりです」。

「TMEICの価値は『技術力』。そして、私のような営業は、高い技術力を持つ技術担当者が、お客さまに対して最高のパフォーマンスを発揮できるようにセッティングする仕事。今回のように、幸運に助けられながらもお客さまが危機を脱する一助になれたのも、技術、営業、設備などそれぞれの担当が、日頃から、切磋琢磨しながら地道にお客さまからの信頼を得られた結果であって、震災に直面してから急に信頼が育つものではありません。IHI相馬事業所は、1998年の設立当初は規模も小さかったですが、今では地元の皆さんを含む1,800人が働いています。ジェットエンジンだけでなく、相馬市の人々を支える工場なんだと思います。これからも、微力ながらも一助になれれば嬉しく思います」と鹿島は言う。

image
image
image

Interview movie(インタビュー動画)

取材協力:株式会社IHI

その他コラム

  • WHAT IS TMEIC?
  • TMEICMAN ティーマイクマン
  • TMEIC 2018 RECRUIT(採用情報)
  • ようこそ、TMEIC村へ